オセアニアの今―伝統文化とグローバル化

サモアを中心に40年以上オセアニア研究に携わっている山本真鳥さんが、オセアニアの島々の人々と続けてきた交流の中に見えてくる「風景」を余すところなくつづります。

第9回 2本の『モアナ』映画

 2017年3月にディズニー制作のアニメ映画『モアナと伝説の海』(原題Moana)が日本でも公開されたが、その1年後の2018年には、もともと1926年に公開されたサモアの伝統的暮らしを描くドキュメンタリー映画『モアナ、南海の歓喜』のデジタル版が日本でも公開され、秋に岩波ホールでも上映された。それぞれに客層が違い、前者の圧倒的人気とポピュラーカルチャー的扱いに対して、地味なドキュメンタリー、民族誌映画ということはあるが、興味深い「偶然の一致」でもあり、今回はこれについて書いてみたい。

 なお、モアナという語は、大海を意味するポリネシア語である。サモア語でモアナというのは、oceanという訳語が当てられているが、まさに太平洋(Pacific Ocean)そのものである。ラヌは色という意味であるが、ラヌモアナはまさに海の色、青のことである。モアナという個人名の人は、私は女性しか知らないが、『モアナ』に出てくるモアナは若い男性主人公で、辞書にも男性にも用いられる名として出ている*1。他の言語、ハワイ語やマオリ語でもモアナは大海のことであり、他に広い、大きいといった意味もある。

 

フラハティとドキュメンタリー映画

 ロバート・フラハティ(Robert J. Flaherty, 1884-1951)は、最初はトロントで写真家として名をあげた人で、その後映像作家となった。彼が、異文化に興味を持つようになったのは、子どもの頃に父が鉱山師で、アメリカの田舎を移動しながら暮らした経験があったからであるという。彼は、1913年頃から北極圏・ハドソン湾のあたりに住むイヌイト(北方カナダに住むエスキモー)の領域を探検したり、地図を作ったりというプロジェクトに参加して、彼らの生活を動画に撮るということを始めた。彼は1914年にフランシスと結婚し、彼女もまた、ストーリーを書いたり、カメラを動かしたり、フラハティの作品を売り込むなど、多角的な活動を行ってくれたので、彼女なくしてフラハティの名声はなかったとも言われている。フラハティの最初のドキュメンタリー作品は『極北のナヌーク』(1922)という厳しい自然と闘うイヌイトの男性ナヌークとその家族を描くもので、興業的にも大変成功し、フラハティを一躍有名にした。

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 その後フラハティは、ドイツからニュージーランドに統治が移ったばかりの西サモア(フラハティはブリティッシュ・サモアと呼んでいる)、サヴァイイ島北岸のサフネ村に家族で住みつき、サモア人の暮らしをつぶさに観察してから、『モアナ、南海の歓喜(Moana, A Romance of the Golden Age)』(1926)を撮影した。

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 彼らの滞在は1年半にも及んだ。彼らはまさにフィールドワーク(参与観察)を行ったのである。当時一般の人々がイヌイトやサモア人の生活を見ることは無理で、そのような意味で、人々はちょうど18世紀のキャプテン・クック航海記を読むような感覚で、彼の珍しい体験を描く映画を見たのであろう。こうした手法の映画はこれまでなかったので、彼は最初にドキュメンタリー映画を制作した人と呼ばれ、このジャンルの開拓者となった。この作品の後、フラハティは何本も作品を仕上げたが、中でも、アイルランドに近いアラン諸島の住民を描く『アラン諸島の人』(1934)や『ルイジアナ・ストーリー』(1948)などがよく知られている。

 

『モアナ、南海の歓喜』とフラハティ

 『ナヌーク』もそうであったが、『モアナ』は無声映画で、白黒フィルムが用いられている。ごく簡単な場面の説明として文字画面が入り、その後に簡単なストーリーが展開する。フラハティ夫妻の没後、夫妻がサモアに住んでいたとき3歳くらいだった娘のモニカ・フラハティが、サモアに行って、画面にマッチした自然音や歌い声(伴奏なしのハーモニーやチャント)、簡単な会話などの音源を採録して、編集を行った。この作業が完成したのが1980年で、半世紀の後にトーキーとなったのである。その後さらに、2014年にデジタル版が完成した。

 日本では、グループ現代というテレビ番組の制作会社が、このデジタル版の配給を行い、2018年に日本各地で上映が行われた。東京では岩波ホールで上映されている。ただ、残念なことに一部の民族誌映画の愛好者を除いて、それほど観客は多くなかったようである。

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 以下、私の私見を交えて多少映画評のようなものを書いてみたい。

 ドキュメンタリーといっても、事実を重視した今日の作品と同じものというよりは、現地の生活の中から台本を書き、その場面を演じてもらうということをしているらしい。主人公のモアナ役の男性はなかなかイケメンである。またその婚約者も可憐なかわいらしい女性である。ストーリーとしては、大家族の一家のごく普通の日常生活がその長男であるモアナを中心に描かれ、それはモアナが一人前の男性となるためにタトゥー(入墨)を施してもらい、婚約者のファアンガセと結婚するというクライマックスに至る前提となっている。

 サヴァイイ島は現在でもサモア全体の中では「田舎」というふうに人々は認識している。バス網が発達し、自家用車やピックアップ・トラックが島の環状道路を走る現代とは比べものにならない位、人々の生活は自然に依存したものであったに違いない。映画で描かれているのは、そんなサモアののんびりした田舎暮らしであり、ノブタやヤシガニを採取する場面や、イモを引き抜いて、山の畑から帰ってくる場面が描かれる。男は肩に棒を担ぎ、その前後にタロイモや青バナナの入ったカゴをぶら下げ、女はバナナの葉を何枚も重ねて背中に背負う。モアナの母は、樹皮布を作るためのクワノキの枝を集めて背負う。この男の持ち方はアモ、女の持ち方はファファという。ジェンダーによりものの持ち方が規定されているのだ。

 モアナの弟のペアは、お兄さんの指示で高いヤシの木に登り、ココヤシの実を上から落とす。若者たちは、アウトリガーカヌーに乗って、銛で魚を突くとあっという間に何尾も魚が捕れる。ウミガメも捕まえる。これらは、現代は多少道具が発達したとはいえ、それほど変わらないサモアの暮らしである。白黒ではあるが豊かな自然を感じさせる描写が続く。母が樹皮を叩き伸ばして樹皮布(シアポ)を作る場面や、モアナが婚約者とダンスをする場面もある。しかし、もっとも盛り上がるのは、モアナがタトゥーを施してもらうところ、そしてその後に婚礼の儀式が整えられるところであり、そこにクライマックスがある。

 このフィルムで描かれているのは、自然と共生する人々の話であり、よく言えば「田舎の素朴な暮らし」である。時には厳しい自然の洗礼を受けながら、何とか環境と折り合いをつけつつ生きている辺境の人々の人生である。その意味で、フラハティの未開民族・伝統社会の描き方は、『モアナ』にあっても『ナヌーク』や『アラン諸島』と同じく一貫しているように思える。

 現代のドキュメンタリーは、若干作為がこもると、ともすれば「やらせ」であるという批判を受けるが、その意味では、フラハティ作品にはかなりの「やらせ」があるように思える。まず、出てくる人がすべて、樹皮布をまとっており、モアナの婚約者ファアンガセは、腰巻き状にまとい、胸を露出している。しかしキリスト教の布教がほぼ完了したこの時代には、胸を露出することは、特別なダンスの時くらいしかなかったはずであり、また樹皮布はそろそろ日常着ではなくなっていたはずである。その他の女性は樹皮布の真ん中に穴をあけてそこから首を通す貫頭衣のようなものを着ているが、これも私の知るサモアでは見たことがなかった。

 さらにモアナの婚約者が出てきて、一緒に畑で作物を収穫したり、夜家でダンスをしたりしている場面がある。彼女はタウポウ(村の王女)であるとも説明されている。しかしタウポウは原則として遠い村の高位首長である老人かその息子に(政略結婚的に)嫁ぐのが常識で、同じ村の幼なじみのような青年と結婚したりしない。またたとえ婚約者がいても、結婚前に男性と親しくダンスをするということは、現代アピア市ならいざ知らず、100年近く前の村の文化としては考えられないことなので、ここも変だという気がする。

 この映画を見ると、人は、見たままを描くといっても、その図は結局選択的にしか描けないのだなあとつくづく思う。人間が何かを描写するとき、監視カメラのようにすべて記録するのではなく、自分の目、そして自分の認識を通して脈絡をつけ描くしかない。ありのまますべてを描くのではない。そこには当然取捨選択がある。私が描くドキュメンタリーであれば、サモア社会の権力関係、儀礼的側面や首長の演説している姿など描くと思うが、それはまた、サモア社会の一部分を解釈するに過ぎないのかもしれない。

 しかしながら、生き生きした表情、また自然を描く映像は珠玉のでき映えである。

 

ディズニー映画『モアナと伝説の海』

 女性活躍の時代にマッチしたヒロインの冒険譚は、『アナと雪の女王』などと同様ディズニー映画のひとつのパターンである。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが制作した『モアナ』は、コンピュータで制作したアニメ映画で、スタジオの56番目の作品である。

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 この物語は端的にいえば、少女が数々の障害を乗り越えて、自分たちの島の人々を救う話である。

 ポリネシアのどこかの島(モツヌイという名があるが、これは「大きい島」の意)の話。豊かな熱帯の島であったのに、どういうわけか作物の不作が続く。言い伝えでは、半神半人のマウイが、1000年前に世界を創造した女神テフィチの心臓を盗んだが、多くの魔物たちがそれを狙っていて、マウイは襲われた結果、彼のマジカルな武器である釣り針と共にその心臓を深海に落としてしまった。それが原因で人々の苦難が始まったという。厳しい苦難に耐えるのが難しいまでになったところで、島の首長の娘であるお嬢様育ちのモアナが、この問題を解決するために一人でカヌーに乗り冒険に出かける。臨終の祖母に託されたテフィチの心臓を持って、隠し場所にあった小型カヌーに乗って大海にこぎ出すのである。途中で、ちょっとコミカルで、ドジなマウイに出会って、二人で様々な冒険を重ね、テフィチに心臓を返す旅に出る。

 最初は心許ない航海であったが、マウイの指導の下モアナは立派にカヌーをあやつる航海者となる。様々な怪物に出会うが、その度に何とか苦難を脱する。心折れそうなとき、祖母の霊が訪れるという経験もする。最後に出会った最も大きな障害はテカーという火山の怪物である。しかしモアナはテカーが、心臓を失ったテフィチであることを見抜き、テカーの胸に大きな翡翠(ひすい)のような心臓を返すと、テカーの火山のような肌は崩れ落ち、テフィチがそこにいた。

 監督やプロデューサーはおそらくディズニーのアニメ作品をずっと制作してきた人々であるだろうが、このプロジェクトはかなりの時間をかけて、制作者たちもポリネシアについて学び、審美眼を磨いていって、作品を作り上げただろうと思う。モツヌイという島は架空の島であるが、ポリネシアのどこと明確に分かるような服装やタトゥーの絵柄を避け、ポリネシアのどこでもありどこでもない場所を作り出すことに成功している。その結果、作品は多くのポリネシア人が、自分たちのストーリーであると感じることができる。

 配役等には相当配慮して、ポリネシア人であるがグローバルな活躍をしている人を招いた。主役のモアナの声を務めたアウリイ・クラバーリョという少女は、ハワイで開催されたオーディションで選ばれたが、ハワイ系であると同時に他のエスニックの血も引く、ハワイ的にいえば虹の子(レインボウ・キッズ)である。マウイの声を担当したのは、ザ・ロックの愛称で親しまれるドウェイン・ジョンソン。彼の母方の祖父は、サモア人のプロレスラーとしてアメリカに渡ったはしりであった。その娘はアフリカ系アメリカ人のプロレスラーと結婚し、生まれたのがドウェインである。彼自身もプロレスを体験したが、その後に映画俳優となった。でかい筋肉質の体に施したタトゥーが売りのマッチョな俳優だ。今でも彼がたまにサモアを訪問すると新聞の一面にでかでかと出るほど、サモアでは大物扱いである。その他、ニュージーランドで俳優をしているサモア系のオスカー・カイトレイ、ハワイ系のニコル・シュレジンガー、ニュージーランドのマオリ系俳優・女優など。

 音楽は、ニュージーランドでテヴァカというポリネシア系バンドを率いるオペタイア・フォアイがサウンドの制作に参加し、テヴァカが歌う箇所もある。

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 フォアイは、トケラウ出身の父とツバル出身の母の間に生まれ、サモアで育ち、後にニュージーランドに移民した。彼の制作する楽曲は、サモア語のものもトケラウ語のものもあり、彼のバンドはポリネシア各地から来たメンバーが参加している、ポリネシア系マルチエスニック・バンドである。リンクの楽曲の中にも、複数のポリネシア系言語が用いられている。また、このウェブマガの第7回「航海術の復興」に登場した、ポリネシア航海術協会のナイノア・トンプソンにも航海術を描く場面で指導を仰いでおり、その旨記載がある。モアナは夜の星を頼りに航海し、ロープを結び、波や星を観察する。左手の親指と人差し指で直角を作ってそこから星を見たりする仕草は、まさにポリネシア航海術である。

https://www.youtube.com/watch?v=eLfz9ScpVc0&feature=youtu.be

  ストーリーにもポリネシア各地の習慣を知るコンサルタントを雇ってチェックをしている。ちなみに、サモア国立大学で教員をしているディオンヌ・フォノティー氏は、この映画制作のコンサルをしていたという。

 

『モアナ』の評判

 『モアナ』は2016年に完成し、アメリカでは11月に公開された。日本での公開は翌年3月であった。

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 日本での評判は(あまり評判にならなかったので)いまいちであったという印象を受けていたが、51.6億円を稼ぎ出し、ディズニー・アニメとしては歴代11位であったというからまんざらでもない。アメリカだけで2.5億ドル、世界中では約7億ドルを稼いだ。たいしたものである。

 ただし、2017年3月にニュージーランドを訪れたときは、サモア移民の家庭で、様々なモアナ・グッズ(モアナや動物のフィギュア、絵柄のついたバックパック、iphone ケース等)が子どもの間で大層人気だったのだと聞いたが、日本ではそのような評判は聞かなかった。関連グッズでの儲けはたいしたことなかったかもしれない。ニュージーランドはマオリを含めると相当ポリネシア系の人々がいるので、そういう親は子どもに買い与える可能性があっただろう。そうなれば、「○○ちゃんが持っているから、私も」という話になる。ポリネシア的だが、どこでもない島、というのは、ポリネシア系の人々の歓心を買うためには重要な手段だったかもしれない。

 しかし、日本人で映画を鑑賞した人々にとって、『モアナ』はどのように見られたのだろうか。一応ディズニー作品だから間違いはないと思って見にいった、という人が多いのではなかろうか。しかし、『モアナ』が単なるおとぎ話としてだけ受け止められたのであれば、残念なことだ。そのような人々に、ポリネシア人の航海術や、人々の海への思い入れは印象に残っただろうか。ナイノア・トンプソンはじめとするポリネシア航海術協会の人々が普及させようとしている化石燃料のいらない船というのは、これから脱CO2社会という目標に向かって世界が動いて行くとしたら、重要な提案である。

 一方、アカデミックな分野では、『モアナ』批判の方が勢力としては強かったように思える。またアメリカの大企業が儲けている。しかも弱小民族のポリネシア人をネタにしているから、たちが悪い。搾取だ。マウイや、モアナの父親のでっぷり太った姿はどうだ。いかにも肥満のポリネシア人が典型として描かれているのは、ステレオタイプでけしからん。マウイもちょっと頭の弱そうな力持ちだけれど、ポリネシア人はそう見られているのだろうか。等々。

 マウイはもともとトリックスターなのだから、どこか抜けていて愛嬌のある存在でおかしくはない。いろいろな失敗を繰り返しているが、それが世のため人のためとなってしまう、愛される存在である。釣り針が底がかりをしているうちに島を釣ってしまったり*2、火山の女神をだましているうちに、火をおこす技術を獲得してしまったり、である。マウイは子どもたちにも愛される存在だった。

 ウィキペディアの英語版によれば、『モアナ』は、ニュージーランド人のタイカ・ワイチチ氏(映画制作者兼俳優)が最初に構想したが、彼は個人的理由でこのプロジェクトから脱落し、その結果最初の構想とはかけ離れたものになったという。もとはマオリ神話の「どのようにして死が始まったか」というストーリーに基づき、冥界の女王となったヒネ・ヌイ・テポーの陰部から体内を駆け抜けようとしたマウイが、寝ていたヒネが気付いて体に力を入れたため、胎内から出られなくなった、という神話に取材して、テポーという化け物のキャラクターを作っていたが、結局テカーという火山の化け物になってしまったそうだ*3

 私自身はこの作品について、欠点もあるだろうが、長所はそれに優っていると考えている。おとぎ話ではあるが、ポリネシア文化に十分取材を重ね、それなりにしっかりした作りとなり、ポリネシア人すらも魅了する力量はたいしたものだ。カヌーの動きとか、動植物も丁寧に描かれている。

 かつて教育関係の某社が、ハワイを舞台にした映画を作りたいので台本を見て欲しいとアプローチしてきたことがあった。いくつかアドバイスや忠告をしたが、ほとんど取り入れられることがなかった。後から考えれば、多分一応専門家に見てもらったというお墨付きが欲しかっただけなのだろうと思う。ハワイに持って行って見せるということを考えないから、多少嘘があってもかまわないということになるのだ。そのような意味で、ディズニーともなれば、世界中の人が見ることになるから、ポリネシア人が見ても、ポリネシア研究者が見ても大丈夫なようにと万全の体制を計っている。グローバルな視点をもって制作していることには敬意を払いたいと思う。

 

むすび

 近年、パシフィックというのは、ポリネシア系の人々の間では、ヨーロッパ人が勝手につけた名前だということで評判があまりよくなく、また、それに代わって用いられていたオセアニアも、大海を連想する名前であるけれども、結局は外来語だからというので、モアナという語を太平洋系の人々を指す名として、ニュージーランドでは用いられるようになってきた。『タンガタ・オレ・モアナ(モアナの人々)』*4という本は、ニュージーランドと太平洋諸島との交流の歴史を描いた本である。ここにモアナという語が使われている。

 モアナという名は日本でいえば、海(かい)、大海(おおみ)、洋(ひろし)といった名前に相当するだろうか。全く違う構成ではあるが、『モアナ』というタイトルの映画2作品が、日本でもあいついで公開された。これはまことに喜ばしいことである。この章は、モアナということばの深い意味を伝えたいという意図も込めて書いた。

 

●次回は3/27(金)更新予定です。

*1:G.B. Milner, Samoan Dictionary: Samoan-English, English-Samoan. Oxford UP. 1966

*2:マウイが釣りをしているうちに海の底に釣針がかかり、海の底が持ち上がって島ができた、つまりマウイが島を釣ってしまったという神話語りは、ハワイにもニュージーランドにも存在している。ニュージーランドの北島はマオリ語でテ・イカ・ア・マウイと呼ばれるが、これは「マウイの魚」という意味である。

*3:https://en.wikipedia.org/wiki/Moana_(2016_film)

*4:Sean Mallon, Kolokesa Mahina-Tuai and Damon Salesa eds. Tangata o le Moana: New Zealand and the People of the Pacific. Te Papa Press, 2012.

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