オセアニアの今―伝統文化とグローバル化

サモアを中心に40年以上オセアニア研究に携わっている山本真鳥さんが、オセアニアの島々の人々と続けてきた交流の中に見えてくる「風景」を余すところなくつづります。

第8回 日本に建ったサモアの家

 2019年12月8日に、ファレ・テレ(サモア式家屋の中の高位首長の家)が完成して竣工式を行うという知らせをもらい、その儀礼のために愛知県犬山市にあるリトルワールドを訪問した。サモア式家屋は、サモアでも公共の建物を除いて最近は減りつつあり、国外ではおそらく旧宗主国であり移民も多いニュージーランドに見られる程度であろう。日本国内でもリトルワールドの他にあるとは聞いたことがない。その建物は35年以上前に建てられたもので、今や老朽化して、屋根は雨水が漏れ、相当痛んでおり、どうなるかと心配していた。リトルワールドの宮里研究員からは相談を受けていたものの、なかなか進んでいなかった。ところが、話が進み出したら、あっという間にスピードアップして3カ月後に家が建ってしまった。老朽化の具合からして、修復というよりはほとんど再建築だったと思われる。今回は、この話を中心に書いてみたい。

 

リトルワールドとサモアの家再築の経緯

 リトルワールドというのは、犬山にある名鉄関連の観光施設であるが、同時に、世界各地の建物を移築したり、建設したりした野外博物館である。

 もともと東大の文化人類学教室におられた故泉靖一教授がコンセプトを提供してできたと思われる。東大名誉教授の大貫良夫氏は、以前ここに研究員として勤めた経験があり、東大定年後はまたここに帰ってリトルワールドの館長となられている。リトルワールドは名古屋周辺ではちょっときこえた存在であるが、残念ながら東京ではあまり知られていない。

 かなり広大な野外博物館で、ヨーロッパ各地の屋敷や農家、バリの貴族の家、ネパールの僧院、トルコの街並、トリンギット(北米北西海岸インディアン)の家、台湾、インドネシア等々、23カ国32施設が建ち並んでいる。その広大な園内を歩いてもよし、バスも廻っているので年寄りや小さいお子さんがいる家族もゆったり廻ることができる。それぞれの建物は、現地の大工を呼び寄せで建てているので、本物志向である。また、民族衣装を着て写真を撮ることもできるし、現地の食べ物を提供するブースやレストランがあちこちに設置されていて、食べ歩きもできる。1970年頃に構想ができたが、建物を順次移築して開園するまで15年近くかかり、開園は1983年のことだったという。開園後に建てられたネパールの僧院の内側の壁画は、わざわざネパール人の絵師を呼んできて描いてもらったというもので、実に見事である。

 おそらく最初のサモアの家は、当時西サモア(現在のサモア独立国)でビジネスをされていた故大石敏雄氏が仲介したのだろう。35年前のことであるという。

 今回、大石氏の会社も若干関与していたかもしれないが、前面に出てきたのは、サモアでティアパパタ・アートセンターを運営しているスティーヴン・パーシヴァル氏である。彼のアートセンターを作った時に、サモア式のファレを建てた棟梁がレサー・ラウファレ氏(サモア独立国ウポル島南岸の西の方にあるサアナプ村出身)であり、パーシヴァル氏が紹介してレサー氏がその配下の6人の大工を連れて来日することとなった。パーシヴァル氏はリエゾンとして、通訳を務め一切の仲介役をした。パーシヴァル氏は映像作家でもあり、この間多くの動画を撮影したので、このリトルワールドでのファレ・テレ建設を巡る映像作品を制作する目的もあった。また彼の長男は大阪の会社に勤めており、次男も日本滞在中で、氏は既に日本に何回か来ている知日家でもある。

 

サモアのファレ・テレ

 サモアの建物*1は、世界でも珍しい部類に入るだろう。柱があって屋根はあるが、壁がないのである。サモアの高位首長は、ほぼ円形でちょっとだけ横軸の方が長いファレ・テレという建物を建てるが、これは人が常時いて暮らすというよりは、客間のような機能をもつ建物で、首長らが集まって儀礼をしたり、演説をしたり、カヴァという飲み物を飲んだりする。身分のある客人をここに泊めることもある。

 首長の補佐をするツラファレと呼ばれる人々がいる。こちらはファレ・テレを建てることは許されず、ファレ・アフォラウというのを建てる。こちらは横長で長軸の両端は丸くなり、平面図は楕円形をしている。

 いずれの建物も、かつてはサンゴの化石を敷き詰めた基壇の上に建てられたが、最近のサモアではこの基壇を石積みしてからコンクリートで固めて作ることが多い。19世紀半ばにサモアを訪れたアメリカ海軍の探検隊の日誌を見ると、マリエトア(サモアの四大パラマウント首長の一人)の家も他の家と大差ないが、基壇だけは大層高いと書いてある。私が最初に泊めてもらったマノノ島のファレ・テレの基壇は2メートル位あった。そこで生活していると、まるで舞台の上で演技をしているような感覚だった。リトルワールドのファレ・テレの基壇はそこまでいかないが、1.5メートル程度だろうか。

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完成したリトルワールドのファレ・テレ。稲村哲也撮影。

 ファレ・テレの真ん中には大黒柱のような太い丸太がたてに据えられ、これに船のような形をした板が2枚縛り付けられる。ササガと呼ばれる。大黒柱を中心に屋根の端に当たる箇所にぐるりと立てられた柱の上に円錐状の屋根が被るようになる。かつては鉄器がなかったので、ヤシロープでくくりつけて縛った。何本もの木材を組み合わせて曲線を作り、ヤシロープでぐるぐる巻きにしていく。ヤシロープはココヤシの実の外側の繊維をとりだして綯い、三つ編みのようにして編み込んで作ったロープである。サモアの村に行くと、若者が家の外で肉体労働をしている間、老人はおしゃべりしながら、あるいは会議に参加しながらこれを作っていることがある。このロープは大変強く、かつて複数の材木を組み合わせて大きなカヌーを作るときもこのロープで結び合わせた。

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リトルワールドのファレ・テレ屋根裏。山本真鳥撮影。

 屋根は、サトウキビの葉を編み込んで、片方を編みっぱなしにしたものを重ねて作る。日本でももう茅葺き屋根を見ることはほとんどなくなってしまったが、それは定期的にこの屋根葺きをしなおさなくてはならないからである。茅の屋根葺き職人は今では稀少な存在となり、定期的に屋根を葺き直す費用の方が瓦屋根を作るよりずっと高くなってしまった。サトウキビの場合、もつのは約5年と言われている。かつては、トタン屋根はお金を使って作るので、一種のステイタス・シンボルであったが、現在ではその方が経済的であると人々はいう。しかし、昼間は暑いし雨が降ると雨音がうるさいし、ろくなことはない。

 サモアの都市部でもかつてはなかったほどの大きなサモア式の建物が大学やホテルなどに建てられているが、屋根は板葺きとなっていることが多い。リトルワールドのファレ・テレは、5年に1度葺き直すのは無理ということで、最近南の島のリゾートで用いられている、プラスチック材でニッパヤシ風に見えるものが用いられている。遠目にはサモアの伝統的な家と変わらない。

 壁がない代わり、暴風雨の時などに降ろして使う、ヤシの葉で作られたすだれのようなもの(サモア語で「ポラ」)があるが、リトルワールドでは降ろして使うことはあるまいという配慮だろうか、これも飾り程度に上の方に1枚だけ付いている。サモアでもポラが用いられるのは暴風雨のときだけで、夜も普通は降ろさない。ファレ・テレで全部のポラが降ろされているのは、殺人があったりした深刻な問題を首長たちが話し合う秘密会議の時位で、なかなか見ない風景である。

 

落成式ウム・サーガの式次第

 そのようなファレ・テレが完成したときには、ウム・サーガという行事が行われる*2。サモアの伝統的な建物の建て方では、最初に施工主が棟梁を探し、棟梁に依頼する儀礼から始まる。その後、棟梁は配下の大工を使って材木を探すところから始めるわけだが、工程に応じていくつかの儀礼があり、その都度、施工主は棟梁に、サモアの貴重財であるファイン・マットと食料を贈る。依頼の時にもファイン・マット*3は欠かせない。建てている間、棟梁に労賃は払われないが、食事はすべて施工主が用意し、適宜衣料品なども贈り、生活に支障がないように取りはからわなくてはならない。そして建物が完成すると行われるのが落成式である。

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ウム・サーガの儀礼とダンスを見る人々。山本真鳥撮影。

 落成式に際して重要なのは、棟梁への謝礼(労賃)の支払いである。かつては棟梁にこれまでの働きに対して、ファイン・マットと食料がふんだんに贈られていた。現在では、ファイン・マットと食料の他に現金が贈られ、現金の重要性は年々高まっているはずであるが、その金額は定額ではない。施工主はもちろんある程度の常識に基づいて支払いをするのであろうが、また今日では定額でないといってもある程度内々で合意が出来ている場合もおおいに考えられるが、額が大きくなればなるほど世間的には施工主の名声が上がるという仕組となっているのである。

 しかし、リトルワールドの場合には、支払いはおそらく契約という形で銀行振込等で行われるので、小切手を渡す場面とかが大々的にウム・サーガで行われるということはなかった。また、ファイン・マットの贈呈もなかった。

 ウム・サーガの原義は、聖なるウムである。ウムとは、石焼き料理のことだ。地面をくぼませてそこでたき火をして石を焼き、その焼け石の上に食材を乗せて火を通す調理法であり、サモアの伝統料理である。パーシヴァル氏としては是非行いたかったようだが、何しろ寒い中で行われることとなるので、断念せざるを得なかった。

 結局落成式として行われたのは、礼拝とカヴァ儀礼、それにその後のダンスである。

 さて、10時半に始まるという教会での儀礼に参加した。リトルワールド内にあるドイツ・バイエルン州の村の中の聖ゲオルグ礼拝堂(カトリック)にて礼拝が行われた。サモアでもっとも信者数が多いのはプロテスタントの会衆派教会であるが、現地では宗派を越えた礼拝が行われることもあり、あまり問題ではなさそうだ。大工の中に、説教の資格をもった人がいたので、彼が式を執り行った。

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聖ゲオルグ礼拝堂での礼拝後の記念写真。大工さんと。

 その後、本部の建物に行き、そこで、パーシヴァル氏はサモアの家屋建築に関するプレゼンを行い、今回のファレ・テレの建築の説明を行った。その後、関係者の昼食会。サモア人との在日国際結婚カップルがかなり参加していて、その数に驚いた。サモアにいると実に子どもが多くて、教会でも礼拝中に子どもの泣き声やそれをたしなめる大人の声が説教の間絶え間なくきこえる。その雰囲気が、実にサモア的であるのに気付いて、なつかしかった。

 1時になるといよいよ落成式の本番となる。一般の観覧者をお招きして、カヴァ儀礼*4が行われた。家の中の後方にカヴァの器が置かれ、その後ろ側にタウポウ*5が座り、その両脇に若い衆が座った。正面には演説するツラファレ、正面の左と右をタラというが、左のタラには棟梁や称号をもつサモア側の人々(中には日本人も含まれる)、右のタラには大貫館長をはじめとするリトルワールド側の人々が座り、私も館長の隣に座った。

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カヴァ儀礼に参加する人々はやや緊張の面持ち。山本真鳥撮影。

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カヴァ飲料を作り、給仕する若者たち。山本真鳥撮影。

 カヴァ儀礼は複雑なルールがあるが、やや簡略な形で行われた。カヴァが整う頃を目指してツラファレが演説を行う。直後にカヴァ杯の呼び出しの甲高い声が入り、館長にヤシの殻で作られた杯が捧げられた。実は館長はサモアの習慣に通じているわけではないので、最初の杯は棟梁に行き、次に館長はそれをまねして飲むという打ち合わせだったが、サモア的には施工主が主人であるから、館長が最初となったのであろう。飲み方は、杯を傾けて数滴地面に垂らしながらちょっとした感謝の意を伝えて、マヌイア、もしくは、ソイフアと言って飲み、杯を返す。座の面々は、ソイフアに対してはマヌイア、マヌイアに対してはソイフアと唱和する。幸い私が横にいたので、館長は難なく難関を乗り越えた。その繰り返しで、給仕役はタラを往復しカヴァ儀礼は終了した。

 その後、建物の横にしつらえた舞台で、一般の方々の飛び入りも出る、楽しいサモアン・ダンスが披露された。100人を優に超える観客を集めることができて、まずまずの成果だったといえる。ウムはできなかったが、パニケケといって、サーターアンダーギーのような揚げドーナッツを売る売店も出た。

 

サモアの家と暮らしの哲学

 さてサモアの家は、柱はあるが壁がない、と先に述べた。これは気候からいうと無理ないことである。熱帯で大変暑く、南半球なので7月8月は日本よりよほど涼しいが、12月は日陰にいても汗が出るし、2月3月の雨がちの時期もじとじとと暑い。サモアで、壁のない家というのは、それなりに合理的であるなと感じる。しかし、オセアニアでも壁のない家というのはあまりない。リトルワールドのファレ・テレの横には、ヤップ(ミクロネシア)の家というのが建っているが、これは高床で、壁のある家である。サモア周囲のフィジー、トンガも竹やヤシの葉などを使った風の通る壁はあるし、壁がない、ということは暑い太平洋諸島でもあまりない形である。

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サモア、サヴァイイ島ガータイヴァイ村風景。1978年、山本真鳥撮影。

 また、サモアでは近年、洋風建築――ファレ・パーラギと呼ばれる。パーラギとは白人のこと――が増えているが、実際にニュージーランドやアメリカあたりにある普通の建築物ではなく、サモア人が考える洋風である。長方形をしていることもあるが、中は区切られずワンルームになっていたり、本来なら壁のあるべき場所に壁はなく、外と内とを隔てる70センチくらいの高さの柵があるとか、壁はあってもルーバー窓になっていることが多く、外から中が丸見えの造りである。別なところで論じたことがある*6が、サモア人はプライバシーを守ろうという考えは存在せず、むしろそれを隠すことはいけないことだと考えているようだ。

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サモアの「洋風」建築。前面は柱だけ、後方は壁があるが、ルーバー窓を多用。2011年、山本真鳥撮影。

 先にファレ・テレのすだれ(ポラ)を降ろしているというのは異例のことだと書いたが、ポラを降ろしている場合は、異常事態で秘密会議をしているのか、それとも中にいる人が外に見えてはならないようなことをしているか(隠れておいしいものを独り占めして食べている、など)のどちらかである。普通に会議をしているときは、誰でもがその会議を外から見ていてかまわない。またそのためには、壁がないことは有益である。まさにガラス張りの会議であり、会議に参加できなくても、傍聴することは可能なのだ。サモアでは儀礼の際にファイン・マットや食料(蒸し焼きにしたブタや缶詰など)、現金などの授受が行われるが、その際、受け手の中の若者が、贈り手と受け手の名、もらったものを周囲に聞こえるような甲高い大声で叫ぶのである。かつては贈与を受けた現金も人々に見えるように扇のように開いて、「いくらいただきました。ありがとう」と述べていた。現在では封筒に入れていることが多いが、これは移民の間で始まった慣習が次第に広まった。

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ガータイヴァイ村での儀礼風景。1978年、山本真鳥撮影。

 この社会では、自分が多くもっているものを他人に与える人は歓迎される。逆に人に与えることを惜しむ人は、「ケチ」呼ばわりされるが、これはサモアでは大変な悪評であるのだ。ある人からない人へというモラルはこの社会ではきわめて重要である。だから、持っているものを隠さないということもそれと関連している。

 さらに公開の場に貴重品をおいておく、というサモア人の発想は我々と逆である。最初に過ごしたマノノ島の高位首長の家では、誰もが見ることのできるファレ・テレの大黒柱に、バスケットが下がっていて、その中に一家の財布が入っていた。子どもをよろず屋に買い物に行かせるときには、お母さんの命令の下、年長の子がバスケットから財布をとりだし、お使いの子にお金を渡す。しかしそれ以外の時に財布に触れる者はいない。衆人環視であるからこそ、不正はできないのである。

 

オークランド大学のファレ・パシフィカ

 ニュージーランド・オークランド市は、今日では最大のポリネシア人人口を抱えた都市だと言われている。ニュージーランドに住むポリネシア移民の人々は約30万人であるが、そのうち20万人はオークランドに住む(2013年)。これらの人々は、パシフィカ(Pasifika)と呼ばれることもあるが、現在ではオークランド総人口の13パーセントを占めている。これにオークランド在住マオリ人(先住民)の10パーセントを加えれば、4人に1人はポリネシア人ということになる。

 オークランド大学は、そのようなパシフィカ・コミュニティ向けに、Fale Pasifikaという施設を作った。これは太平洋系の集会所のようなところで、太平洋関係の授業やセミナー、会議などに使用ができる。コミュニティにも解放されているが、多くは学内のイベントに使われている。フェイスブックによれば2011年から行事などの写真が出てくるので、この頃に建てられたのだろうか。ファレとはサモア語で家の意味であり、ファレ・パシフィカの建物も楕円形のその平面図や、廻りがほとんどガラス戸となっていて内部がよく見える点は、サモアの建物に模した形状をなしている。屋根は板葺きとなっていて、サモアのオーセンティックなサトウキビの葉で葺いたわけではないが、屋根の丸みは、サモアの建物に近い。その点では、パシフィカの半分を占めるサモア人に敬意を表しているといってもよいかもしれない。

 この建物はまた、パシフィック・スタディーズの教室や研究室などの建物と併せたコンプレックスの一部となっている。さらにこの建物は、太平洋系の異なるエスニック出身の現代アーティストに依頼してアートの装飾を行っているところに特徴がある。入り口近くにはサモア出身のファツ・フェウウの作成した赤い彫刻が建っている。ファレの内部は、丸太と丸太をつなぎあわせるトンガの伝統的ララヴァの技術を学び、自分のアート作品に取り入れている彫刻家のフィリペ・トヒが、異なる色彩のヤシロープで装飾を施している。クック諸島出身のジム・ヴィヴィエアエレは自由を示す鳥の群像を金属で造ってくれた。ニウエ出身のジョン・プレは、パシフィック・スタディーズの建物のガラスに絵を描いてくれた。他にもこのプロジェクトに太平洋系だが異なるエスニックのアーティストが参加している。そのようにして成り立っているファレ・パシフィカの成立に際して、ニュージーランドの太平洋系の移民たちの歴史を絡めてオークランド大学の太平洋系教員が語るビデオがある。80年代のポリネシア人差別を訴えるポリネシアン・パンサーズの抵抗を調査したメラニー・アナエ博士、サモアの人種問題に着目したデーモン・サレサ准教授、英文科で教鞭をとった経験をもち、サモア人を描く小説家のアルバート・ウェント名誉教授。彼らはかつてほとんど太平洋系の学生がいなかった時代に大学で学んだのだが、多くの太平洋系の学生が学ぶ時代となり、彼らがこの建物によって自分たちが感じたような心細さ、場違いな気持ちを持たずに堂々と学べる点を強調する。我々にも誇るべきものが出来た、というわけである。このような建物が新時代のオセアニアを象徴するものとして、建てられることは大変喜ばしい。

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トンガの家屋の屋根組みに見るララヴァ。トンガでは伝統建築はあまり残っていない。これは富豪の古民家を訪ねた際、撮影したもの。2012年、山本真鳥撮影。

 

サモア国内のサモア式建築

 ちょっと残念なのは、サモア国立大学にも立派なファレがありオークランド大学のものより大きかったのに、老朽化して2017年夏に訪問したときは建て直しのために取り払われていたことである。2019年末現在のストリートヴューを見る限りではまだ再築されていない。

 とはいえ、その他中等学校などでは、大型のファレ・テレやファレ・アフォラウが作られている。ティアパパタ・アートセンターにもある。国会議事堂はファレ・テレを模した建築となっており、注目できるかもしれない。周囲がガラス張りで、内部は同時通訳のブースもあり、冷房も効いている。

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サモア独立国国会議事堂。2010年、山本真鳥撮影。

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レウルモエガ・フォウ高校、新築中のファレ・アフォラウ。2010年、山本真鳥撮影。

 サモア式の建物が公共の建物として歓迎されるのは、その開放空間と出入りのしやすさにあるだろう。あれ、何やってるのかな?と思った人が、中に入ってみることが容易である。入らないまでも、ああ、やってるやってる、と知ることもできる。もちろん、サモアの伝統文化からすると、誰でも簡単にどこからでも入れるわけではないが、それでも壁で閉じた空間とはわけが違う。伝統的なサモアの工法は徐々に用いられなくなってしまうかもしれないが、ヤシロープを使った装飾や屋根の組み方、何より開放空間という考え方は生き延びていくに違いない。

 リトルワールドの落成式でも、家の中で行われるカヴァ儀礼を見学していた方々に支障なく見ていただけたのは、開放空間であったからである。

*1:サモアの伝統的建築法について詳細は次の書籍がおすすめである。 Handy, Edward Smith Craighill and Willowdean Chatterson Handy (1924, 1971) Samoan House Building, Cooking, and Tattooing. Bishop Museum Bernice P. Bishop Museum bulletin 15.

*2:伝統的Umu sagaについては、Te Rangi Hiroa (P.H. Buck) (1930, 1971, 1988) Samoan Material Culture. Bernice P. Bishop Museum bulletin 75. に詳しい。

*3:第2回「サモアのお金、ファイン・マットの謎」参照。

*4:サモアではアヴァと呼ばれている。コショウ科の木の根を乾かし砕いたものを水にひたして上澄み液を飲む。太平洋各地にあった習慣であるが、現在では限られた地域のみの習慣となっている。サモアやトンガではこれを儀礼に用いる。山本真鳥(2008)「カヴァ」高田高理編『嗜好品文化を学ぶ人のために』世界思想社。

*5:サモアの村の王女。タイトルを持った女性で、高位首長の娘役。頭に飾りをまとい、カヴァを作る役を担う。この場合は臨時に在日サモア女性に出演を頼んだのであろう。

*6:山本真鳥(1999)「壁のない家」佐藤浩司編『すまいはかたる』シリーズ建築人類学―世界のすまいを読む④、学芸出版社、pp.171-181.

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