オセアニアの今―伝統文化とグローバル化

サモアを中心に40年以上オセアニア研究に携わっている山本真鳥さんが、オセアニアの島々の人々と続けてきた交流の中に見えてくる「風景」を余すところなくつづります。

第6回 文化としてのタトゥー

 前回ラグビー・ワールドカップの話題を取り上げたが、9月15日には、国際ラグビー連盟から日本に結集する選手やラグビーファンに、日本ではタトゥーは覆うなどして、日本人に攻撃的イメージを持たれないように気をつけるようにとのメッセージが発信されたという記事を見た。タトゥーは日本の文化にも存在するが、日本ではそれがヤクザを連想させ、温泉等ではタトゥーを入れている人が入浴禁止となっている場合もある、と説明されている。ラグビー選手、特にパシフィック系の選手はタトゥーを入れていることが多いと記事にも説明されている。

 

ポリネシアとタトゥー

 タトゥーは日本語では入れ墨、刺青(いれずみ)などという語に対応する習慣で、皮膚に傷をつけそこに色素を入れ、文字や絵柄を描くものをいう。人類学一般の定義からは、身体変工と呼ばれる大きなカテゴリーの一部をなすもので、身体変工には他に抜歯、切歯、ピアスや、皮膚に回復後盛り上がる傷跡をつけて文様を描く瘢痕入墨(にゅうぼく)と呼ばれる習慣も含まれている。

 身体変工は、文化人類学の基礎授業でも触れることが多く、世界中に存在する習慣である。日本にも古代からタトゥーの習慣が存在していたことは、3世紀の中国の文献『魏志倭人伝』にある「男子皆黥面文身」という一文が根拠とされている。「黥面文身」は顔にタトゥーを入れることであろう。これはペインティングかもしれないとも言われるが、埴輪に描かれている文様やその他の傍証からおそらくタトゥーであったと推測されている*1。そして、アイヌ民族や沖縄にタトゥーの習慣は近年まで存在していた。

 また、ヨーロッパ・アルプスでミイラ化した遺体で発見されたアイスマン(5000年以上前)や、2500年前とされるアルタイ王女の遺体からその痕跡が発見されている。

 18世紀後半には、西欧の航海者が多く太平洋探検に乗り出しているが、キャプテン・クックなどがポリネシア各地の習慣としてタトゥーの存在を伝えた。しかしどちらかというと、公的な訪問者であるこれらの指導者よりは、現地を訪れた水夫たちが、ポリネシア各地のタトゥーの習慣に強い関心をもち、夢中になり、自分たちの体にもこれを刻んで持ち帰ったことが大きい。それによって、ポリネシアの習慣タタウは一躍有名となり、「タトゥー(tattoo)」という語として この習慣の世界的一般名称となった。他にポリネシア語がヨーロッパ語に取り入れられたものとして、「タブー」や「マナ」などがある。

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マルケーサス諸島ヌクヒヴァ島の男性。1814年出版のvon Tilenauの報告書より。

 18世紀末からのポリネシアでは西欧人の来島が増えるに従い、その影響を強く受け、火器の流入、内戦の激化、ブラックバーディング(太平洋の奴隷貿易)、疫病*2やアルコール中毒の蔓延などが生じ、特に東側の諸島では著しい人口減少が生じた。ハワイ諸島では、接触前の人口18世紀後半推計20万~25万人に対して、1900年には混血を入れても4万に満たなかった。マルケーサス諸島では1813年の推定5万人が1926年に2000人、タヒチ島では18世紀後半推定12万人が1930年には9000人となってしまっている*3

 これらの諸島では、人々が自分たちの文化を維持して生活を営んでいくことすら難しかったが、特に18世紀終盤に始まる宣教師の来島により、タトゥーは禁じられることが多かった。キリスト教では自殺や自傷が戒められているが、タトゥーの習慣は皮膚に傷をつけるので、これに相当するというのが教団の解釈である。

 タトゥーの社会的意味づけはさまざまであり、ジェンダー、身分、所属などを示す指標でもあったし、これが成人式の一部と関連している場合も多々ある。タトゥーは痛みを我慢しないと入れることができないのであるから、成人の印としてこれを入れる習慣が多いのはうなずける。

 タヒチ島はタブーによって上下関係が定められた戒律の厳しい社会であった。最高位首長はあまりに強いマナを集めているため、彼が歩いた土地にそのマナが移る。身分違いの者がそこを歩くことはできない。一般人が通常の生活をするために、王は土地を踏むべきではなく、従者の背に乗って移動が行われることとなっていた。現在伝統文化の祭典となっているヘイヴァ祭では、「最高位首長の結婚式」が演じられるが、「新郎新婦」は従者に肩車されて登場する。

 タヒチのタトゥー研究で著名となったジェルは、タトゥーはそのような異なるマナを持ち合わせた身体を覆い、マナの差の障壁となる役割を果たしていたという*4。そのように社会制度と結びついたタトゥーが禁止されたということは、社会生活そのものの崩壊も意味することになる。首長制度に基づく戒律の厳しいタヒチ社会は、こうしてタトゥーも含めたさまざまな社会慣習を禁止されて骨抜きにされていったということもできる。

 

サモア人とタトゥー

 一方、ポリネシアの西方に位置するサモア諸島は、西欧からの影響は同じポリネシアの東部分よりは強くなかったためか、人口減少ももちろんあるものの東側とは比較にならず、文化破壊も強くはなかった。カヴァ(アヴァ)というポリネシアの伝統飲料は、同名の胡椒科の灌木の根を砕いて水に浸した上澄み液であるが、これを儀礼に用いたり、嗜好品として飲用したりする習慣が各地にあった。ハワイ、タヒチなどをはじめとする多くのポリネシア地域では、軒並みにこれが宣教師によって禁止されたが、サモアやトンガでは禁止されることがなかった。メラネシアに分類されることの多いフィジーでも同様である*5

 むしろ現在のサモア社会で、カヴァの儀礼が行われるときには、牧師もこれに参加して杯を受けることがある。アルコールは全く含まれず、鎮静作用があるから問題ないとの話である。

 同様にサモアでは、タトゥーの習慣も教会が厳しく禁止してきてはいないように思われる。一応自傷を戒めるキリスト教の戒律があるので、牧師自身がタトゥーを行うことは慎まれており、また牧師のファミリーでも慎む人が多い。牧師の家系の人でタトゥーを入れている人は少数派かもしれない。また、一般人でも「ちょっと、あれはね・・・」という人もいる。しかし、私が調査を始めた40年前にも、タトゥーを入れた人は結構いたし、社会の中にごく普通に存在していた。

 サモアのタトゥーは現地ではタタウと呼ばれている*6。男性の身体に行うものはペア、女性のはマルと呼ばれる。ペアはウェストの上10センチ位から下、膝の上まで、陰部も含めて施される。現在のサモア人男性はラヴァラヴァという1.8m×0.9m位の布を腰巻きのようにまとっているので、上半身裸となったときにウェストの上の部分、またTシャツなど着ていても動くと膝上の部分がちらりと見える程度であるが、そのチラリズムが何ともいえない。

 サモアの伝説によれば、タエマーとティラファイガーという女性の結合双生児がツツイラ島を出発してフィジーに泳いでいき、タタウの道具と戦争(戦闘技術か)を手に入れて帰還した。サヴァイイ島(サモア諸島の西側の島)のファレアルポ(西端)に到着し、タタウをサモアに伝えたとされる*7。タタウの道具は、骨をぎざぎざにかたどった切っ先を、ベッコウで補強し、細い棒に直角に結びつけたものであり、この先にヤシ殻から作った墨の液をつけ、とんとんとんとたたいて皮膚に色をいれていく。墨は黒いが皮膚に入ると若干青みがかった黒になる。さて、フィジーではタタウは女性のするものであり、男性はしない。しかし、双子はファレアルポに着く直前に、フィジーで習った歌を「男でなく女にタタウを」と歌いながら帰ってきたのに、うっかり途中で逆に歌い、その結果「女でなく男にタタウ」になってしまった。また男女差の理由は、女は子を産む時に痛い思いをし、男はタタウを入れるときに痛い思いをする、とも説明する。2人は身体を分離し、タエマーはタタウを伝え、ティラファイガーは戦いの神ナファヌアになった。

 実際に出産で痛い思いをする女性もマルというタトゥーを入れることがあるが、マルは、十文字の文様を腿から膝まで入れるだけなので、男性のペアに比べて痛みは少ないかもしれない。現在のサモアの女性は、ラヴァラヴァを長めにまとうので、マルはそのままでは全く見えない。時々ダンスをするときにラヴァラヴァをまくって見せることがある。通常では見せびらかしたりしないが、やはり自慢なので、ダンスのときには見せている。

 ペアはすべての男性が入れているというわけではない。かつての文献を見ても、入れることは義務ではないと書かれている。入れることは義務ではないが、一旦入れ始めた男性が痛いあまりに止めてしまうのは最も恥ずべき行いとされているそうである。儀礼中には上半身裸となるので、それがはっきり見える。また仕上げにへそにも彫るので、それが入っていないと、仕上がっていないということだ。そのような首長を見たことがあるが、私に儀礼の説明をしていた男性は、「あれを見たか? マタガ―(みっともない)だよね」といっていた。多くの場合2名以上が組になって、トゥフガ(親方、タトゥー師)*8に依頼してタトゥーが始まる。体表のかなりの部分に入れるので、あまりいっぺんに行うことはできない。時間をかけて少しずつ入れていくことになる。1日彫ったら、夕方海水に入って体を清める。それがビリビリ大変痛いと聞いた。完成に際しては、カヴァ儀礼が行われ、タトゥーをしてもらった人が正装をしてダンスを踊り、本人の家族からタトゥーの親方に現金やサモアの貴重財であるファイン・マット*9の贈呈が行われる。

Traditional Samoan Tattoo - back
ペア、サモア人男性の伝統的タトゥー。2008年撮影。by CloudSurfer [CC BY 3.0]

 

 150年前にタトゥーの慣習が失われてしまったタヒチ出身の実業家が、運営するポリネシア舞踊団のダンサーの希望を叶えるべくポリネシア中を探し回り、1982年にようやくサモアで伝統のタトゥー師を見つけ、若者の願いを叶えたことは第4回に既に述べている。サモアのタトゥーは伝統の彫り方を守るタトゥー師がいて、それなりに伝統が継続されていたが、この頃からタトゥーの世界的な流行が始まり、サモアではさらに盛んになっていくのである。

 

タトゥーと先住民運動

 タヒチ出身のかの実業家タヴァナ氏とダンサーのイオテヴェ*10の経験は、タヒチのタトゥー史の中で、貴重な事件としてとらえられている。それまで実際にタトゥーがキリスト教会の目論見通り完全に消え去っていたというわけではなさそうである。しかしそれはアンダーグラウンドの文化であり、タヒチのタトゥーを研究した桑原牧子に言わせれば「監獄とストリートで行われ」、仲間同士で入れ合うような性質のものだったし、デザインもかつてのポリネシア的デザインではなかったようだ*11

 タヴァナ氏はその後、タヒチのヘイヴァ祭に数年間、サモアのタトゥー師を招いて、「本物」のポリネシアのタトゥーをタヒチ人が入れられるようにしたのである。やがて公衆衛生的目的でタヒチ政府は伝統的な道具を使ってのタトゥーを禁止したのであるが、ポリネシア的デザインの追究は続いたし、もちろん新しいデザインを創作したり、伝統的デザインに織り交ぜたりすることが行われるようになった。タトゥー師が職業として成り立つようになり、彼らの組合もできた。

 フランス領ポリネシアの首都、タヒチ島パペーテにはそれぞれの諸島から人々が集まってきているが、主に使われているのはマルケーサス諸島のデザインをアレンジしたものであるという。伝統的なマルケーサスの男性のタトゥーは全身に施すものであったが、現在タヒチで行われているのは、そのデザインの一部を切り取って自分の好きな部位に入れることだ。時間をおいて、また違う場所に足していくことも多い。最近では、ポリネシアの他の地域のデザインを混ぜることもあれば、部分的にここはサモア、ここはマオリ(ニュージーランド)とする場合もあるようだ。

 マオヒというのは、フランス領ポリネシアの先住民を表す語であるが、タヒチ島の住民にとって、タトゥーはマオヒとしての印であり、デザイン的にはポリネシア系であればあとは好みとなるようだ。「マオヒならタトゥーしなくっちゃね」といった意識があるようで、タヒチ島の先住民運動の盛り上がりとタトゥーの流行とは関わりが深い。かつてのマナを包むものであったタトゥーとは意味が違ってきたのである。

 同じように、ニュージーランド・マオリの間でも先住民運動が盛んになるにつれ、モコ(タトゥー)は盛んに行われるようになってきた*12。マオリの伝統的なタトゥーは、体にも入れるが、男性は顔全体に施すものであった。女性は口からあごにかけて、レースの型取りをしたような繊細なデザインであるが、男性のものは顔全体で、かなりのインパクトであるし、とても痛いと聞いた。マオリのタトゥーは、ニュージーランドで普段の生活にはなじみが薄いものとして、特別な祭典やダンスの競技会などで、日本の貼り絵のようなものを貼り付けることが普通だったし、今でも太平洋芸術祭のダンサーなどはこれが多い。

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マオリ首長タマティ・ワカネネの肖像。1870年代撮影。

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タトゥーをしたマオリ女性。19世紀後半撮影、フランス国立人類学博物館所蔵。

 『ワンス・ウォリアーズ』という、都市の下層に暮らすマオリの家族を描いた映画があるが、5~6人いる兄弟姉妹の長男がマオリのギャングに入り、その印として顔にタトゥーを入れて家族の元に帰ってくる場面がある。お母さんはやっちまったな!という表情だったが、特に長男をそれで責めることはなかった。ただし、現在でもタトゥーを顔に彫っている男性は少ない。アーティストとか、社会運動家とか、タトゥー師といった人々であるようだ。ところが女性の方はもっと多い。これは彫るときの痛みや、顔面積の中のサイズが影響しているかもしれない。また知らない人が見たとき、男性の場合ほど衝撃的ではないかもしれない。お父さんが顔にタトゥーを彫ったとき、家族全員がそばにいて歌を歌っているビデオを撮影したアーティストがいたが、みんなで歌を歌って勇気づける習慣になっているという。

 先住民運動と連動して、タトゥーが盛んになっているニュージーランドであるが、人々は顔に入れる代わりに、腕や背中や腿や脛など違う場所にマオリ特有のらせん文様や、曲線のデザインのものを入れることが増えている。これはタヒチの場合と同様である。来日中のラグビー選手でも、マオリの人はマオリのデザインを左腕に施していることが多い。例えば、アーロン・スミス選手コーディ・テイラー選手TJ・ペレナラ選手はマオリのデザインである。サニー・ビル・ウィリアムズ選手は見事なサモアのデザインを右腕に彫っており、肩まで入っている。下の写真は、2011年にニュージーランドで開催されたラグビー・ワールドカップ大会の優勝パレードで撮影されたもので、ピリ・ウェエプ選手とマア・ノヌー選手のそれぞれのエスニック帰属がよくわかる。つい先日の9月22日に熊谷で行われたワールドカップ、サモア対ロシアの試合の一部を見たが、サモアの選手たちもおおむね腕のタトゥーに限られるようであった。ペア(伝統的なタトゥー)はいないのかもしれない。選手たちの多くはニュージーランドで生まれたか、サモア生まれでも高校時代はニュージーランドなどで過ごし、現在イングランドやスーパーラグビーなど海外のプロチームでプレイしている。彼らに感化されたのか、白人選手でも入れている人もいる。

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ピリ(左)とマア、2011年10月24日、photo by shafraz.nasser

 

 ニュージーランドの画家ライル・ペニスラは、父がサモア出身の彫刻家であるが、彼が描いたサモア人の父と息子の絵がある。ややポップ調の画面に、父はラヴァラヴァ(腰巻き)姿で、そのウェストから上には伝統的ペアが見え、サモアの武器であるニフォオチを持っている。父の肩に仲よさげに腕をまわしている背の高い息子は、ジーンズ姿で腕にリボンのようにタトゥーを入れている。2人ともデザインはサモアであるが、入れた場所が違う。ジーンズとラヴァラヴァという違いもニュージーランドに住むサモアの移民父子の立ち位置を表している。

 さて、先住民ではないサモア人は、ニュージーランドでは移民マイノリティである。先住民運動ではないが、独立国サモアとしては世界の国家群の中でのマイノリティであり、ニュージーランドに行ってもマイノリティである。その他の諸国ではウルトラマイノリティであるといえる。その中で、存在感を示す印として、タトゥーの世界的流行と共に、人々のタトゥー熱は著しいものとなってきた。また世界的流行と共に、サモアにタトゥーを入れてもらうためにくる観光客もいれば、1年のうち半分以上をヨーロッパやニュージーランドで過ごすサモア人のタトゥー師もいる。移民コミュニティに顧客は十分いるし、それとは別に白人の顧客もいる。また各国で開催される催しに出向いてタトゥーの実演を行ったりもするのである。今やサモアのタトゥーはグローバルに成長した。新しいデザインも編みだし、アーティストの作品にヒントを与えるようにもなっている。まさにボディー・アートと呼ばれるにふさわしくなったといえる。

 

日本人とタトゥー

 私のある友人のマオリ女性はタトゥーの愛好家でもある。体のあちこちに、それぞれの島の異なるデザインのタトゥーがあり、それぞれの島に行ったときに記念に入れてくるのだという。そんな彼女が日本にやってきた。マオリ女性のタトゥーを顔に入れた彼女は、日本に来て差別が少ないという。ニュージーランドにいると乗り物にのったとき隣に来て座る人はいないが、日本では座る人がいるし、あまりじろじろ見られたりしない、と日本人を褒めてくれた。これはおそらく、日本人は無関心を装うことが上手で、本当はしげしげ見たいところではあるが、そんな無遠慮なことはしない。電車の空席をようやく見つけて座ったところが、隣に顔にタトゥーをしためずらしい女性がいるのだが、今から立って別の席に行くなんてできない、と悩んでいたかもしれない。そんなことはおくびにも出さず、ひたすらスマホを眺めていたのかもしれない。

 あまり表情に出さない日本ではありそうな話だと考えたが、それ以上に驚いたのはニュージーランドの人々の反応である。繁華街を歩けば、タトゥーをしている人はそのあたりにいくらでも歩いているし、特に珍しくはない。そして、あっけらかんと、この間ここにもいれちゃった、とタトゥーに夢中の彼女が、そんなこと気にしていた、ということにむしろ驚いた。きっと顔に入れるというのが、大変なことなのかもしれない。彼女に言わせると、タトゥーを入れたら、入れる前とは人生が変わる、という。人の見る目、顔を見ることで、相手の表情もよく見えるのだろう。覚悟が必要よ、という。その意味では、やはり入れる入れないは、人生の大きな岐路なのである。

 しかし、本人のタトゥーに関する態度や考えをおもんばかって、選手にはタトゥーをプールや浴場で覆うように、試合を見にくる観光客にもその点気をつけるように、という海外メディアやそれぞれのラグビー協会の前述の注意喚起はちょっと気にしすぎな感じがする。

 日本では確かに明治の時代に刺青が法律で禁止され、その法律が戦後にGHQのお達しにより廃止されたということは、今回調べてみて私も知ったことであるが、少なくともその間刺青が廃れることはなかったし、戦前にはむしろ現在より大勢の人が彫っていたのではあるまいか。また彫るのがヤクザに限られるようになったのも、それほど古い話ではない。私が幼い頃、父に連れられて銭湯に行くと、刺青した人がいたことはあった。特に入浴禁止といったルールはなかったと思うし、多分来ていた人は、大工や鳶職の人などであってヤクザではなかっただろう。

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日本人男性の刺青。1870年~99年、日下部金兵衛またはレイモンド・フォン・スティフリード男爵撮影。

 小泉純一郎元首相の祖父で代議士だった小泉又次郎は刺青をしていたことから、「いれずみの又さん」として親しまれていたということだが、家業である鳶の親方を継ぐこととなったため彫ったという。若い人は早とちりして又次郎はヤクザだった、と思うことがあるようだが、そんなことはない。堅気である。

 2015年に、タトゥーは医師法に違反しているとして、大阪でタトゥー師が起訴されたことがあり、地裁では有罪となった。高裁の控訴審で有罪となったら、日本のタトゥー文化には大きな痛手であるといわれていたが、昨年11月に高裁で逆転無罪の判決が出された。「タトゥーはアートである」という主張が認められたのである。

 このように一旦差別の淵に沈んでいた日本のタトゥーであるが、最近ではおしゃれとしてタトゥーを入れる人も出てきて、さほどレアではなくなりつつある。もちろんまだポリネシアや、南半球に比べたらごく少ない。それでもタトゥーOKの浴場も出るようになり、日本もグローバル・カルチャーとしてのタトゥーに寛容に向かいつつあるところではなかろうか。そこに水をさすような海外の日本観に対しては、若干複雑な思いがする。ご親切に、でもそこまで気を回さなくてもいいんですよ。私たちは「おもてなし」を心得ているし、「お客様は神様」と考えているんですから、と言いたい*13

 

▼次回は11月29日更新予定です。

 

*1:しかし、古代のタトゥーはこの後途絶えている。

*2:それまでなかった病気が入ってきて、それらが蔓延した。はしか、水ぼうそう、百日咳、結核、性病など。

*3:山本真鳥編(2000)『オセアニア史』山川出版社。

*4:Alfred Gell (1993) Wrapping in Images: Tattooing in Polynesia. Oxford: Clarendon.

*5:サモア、トンガ、フィジーのほかに、メラネシアのヴァヌアツ、ミクロネシアのポーンペイにのみ、現存しているが、現在グローバル化の影響で、キリバスやオーストラリア・アボリジニの間にも広がっている。

*6:サモアのタトゥー文化について、さまざまな書物が出版されているが、最近出版された写真の多い評判の良い書籍を紹介しよう。Sean Mallon & Sebastien Galliot eds. (2018) A History of Samoan Tattooing. Honolulu: University of Hawai‘i Press.

*7:Krämer (1994(1901) ) The Samoan Islands. University of Hawai‘i Press, vol.1 p.35. この伝説は、さらにFirth, Milner, Leachなどの間でMan誌にて論争となったが、ここでは詳細には立ち入らない。

*8:タトゥー師の親方はこの名前で呼ばれるが、伝統的にはこのほかに大工、船大工もトゥフガと呼ばれる。タトゥーの親方は、あるファミリーの独占となっており、彼らと彼らに許された者だけが、伝統的手法でタトゥーをすることができるという。その他に独学でタトゥー師となった人たちもいるが、彼らができるのは機械で彫るタトゥーだけである。

*9:第2回を参照。

*10:彼は、片親がマルケ―サス諸島、もう一人の親がオーストラル諸島出身のようである。彼の望みは、マルケ―サス諸島の戦士として描かれたような全身のタトゥーを入れることであった。

*11:Makiko Kuwahara (2005) Tattoo: An Anthropology. Berg.

*12:モコについても、同じように写真の多い書籍が出版されている。Ngahuia Te Awekotuku ed. (2007) Mau Moko: The World of Maori Tattoo. NZ: Penguin.

*13:かくいう私は、個人的にはあまりタトゥーを入れるつもりはないし、好きというわけではない。宗教・慣習でしなくてはならないのであれば別だが、やはりタトゥーなしの方が、着るものは自由に選べるし、着替えることができるから。タトゥーを擁護するのは、バーや浴場の「タトゥーお断り」が人権の問題であると考えるからである。

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