オセアニアの今―伝統文化とグローバル化

サモアを中心に40年以上オセアニア研究に携わっている山本真鳥さんが、オセアニアの島々の人々と続けてきた交流の中に見えてくる「風景」を余すところなくつづります。

第4回 脱植民地化と文化の創造

 オセアニアは島嶼部を中心に4年に1度の芸術の祭典がある。今回はこの祭典を中心に語ろう*1。祭典とは太平洋芸術祭*2である。前開催は第12回でアガニャ(グアム)、2016年のことであった。この次は来年の2020年6月に、ホノルル(アメリカ合衆国ハワイ州)で第13回の開催が予定されている。私は第7回のアピア(サモア独立国、1996年)大会を振り出しに、第11回のホニアラ(ソロモン諸島、2012年)大会を除いて、全大会を部分的にではあるが、訪れている。第7回以降は、第8回のヌーメア(ニューカレドニア、2000年)、第9回コロール(パラオ、2004年)、第10回パゴパゴ(アメリカ領サモア、2008年)、第12回となる。

 

太平洋芸術祭開始の経緯

 太平洋芸術祭は、南太平洋で西サモアに次いで1970年に独立を達成したフィジーが、1972年に首都のスヴァに、独立国と独立の途上にあった地域を招いて開催したのが初回である。

 当時、太平洋諸島は、西サモア(現サモア独立国)とトンガ王国、フィジーのみが独立していて、その他は植民地や信託統治領であった。これらの島々はアフリカに遅れて1970年代、80年代と脱植民地化の時代を迎える。

 第二次大戦後、これらの諸島は独立準備に入るのであるが、宗主国(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、アメリカ合衆国、フランス)は、この地域の自立、発展を助けるためにSPC(南太平洋評議会)を設置した。その後、オランダが植民地の解消と共に離脱し、またイギリスも近年離脱している。一方、独立した極小島嶼国家がそれぞれにSPCに加盟して、現在26カ所の国と地域*3がメンバー国となっている。

 合衆国信託統治領(ミクロネシアの多くの国々)が独立すると共に、SPCは太平洋共同体とその名称を変えて、略称のSPCはそのままに、太平洋諸島全体をおおう組織となっている。SPCの活動は多岐に渡るが、さまざまな調査や情報交換のみならず、セミナーの開催などと共に、加盟国の結束に向けた事業も行っている。フィジー初開催のこの芸術祭は、SPCの肝いりで、各国の芸術評議会を束ねた組織ができあがり、4年に1度、オリンピックの年に開催されるようになった。SPCは太平洋芸術祭以前に、太平洋競技会を開始しており、これも地域の交流やスポーツの活性化には有意義な大会となっている。ただし残念なことに、私自身はこの競技会に出会うことなく、ご縁のないままとなっている。ちなみに、調査地のサモア独立国は2019年開催の大平洋競技会の主催地であり、7月後半に終了したばかりだ。

 SPCは芸術祭の催しに、オセアニア諸国の交流ばかりでなく、伝統文化の保護や新たな文化の展開を期待している。

 

太平洋芸術祭の演目

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トンガのダンス。トンガの特産品樹皮布をまとう女性ダンサー。2016年、アガニャにて。

 太平洋芸術祭でもっとも多くの観客を集めるのは、各国の伝統的な歌とダンスである。ポリネシア地域にはもともとメロディーを奏でる楽器は鼻笛*4しかないが、これがダンスに用いられることはなかった。従ってダンスのバックには太鼓(片側に皮を張った太鼓、小さめの割れ目太鼓、ヒョウタンなど)等の打楽器と詠唱だけが用いられていた。しかし、西欧との接触時代に船乗りの持ち込んだギター、ベース、マンドリンなどの弦楽器がたちまち採用され、現在ではほとんどもとからあった楽器のように用いられている。

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新しいグアム博物館のオープニングで踊るグアム代表。2016年、アガニャにて。

 ポリネシア諸国のダンスは、たとえばハワイのポリネシア文化センターなどでも各国のダンスを見せるショーが行われているし、それを小規模にしたワイキキのポリネシアン・ショー、また日本でもスパリゾート・ハワイアンズなどでも見ることができる。ポリネシア文化センターはもともと、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の寺院のあるライエ(オアフ島北方)にできたブリガム・ヤング大学ハワイ校に留学してくるポリネシア各地の学生たちが、生活費を稼ぐアルバイトの場として始まった観光施設である。そのためポリネシア各地の学生が踊る本場もののダンスが見られるということが売りものとなっている。それ以外ではダンサーが異なる地域のダンスを習得して、衣装を変えながら見せていることが多い。観光の場でよく演じられるのは、ハワイ、タヒチ、サモア、クック諸島、ニュージーランドなどであるが、太平洋芸術祭では、現地以外では見られないツバルやトケラウ、ニウエ、ワリス・フツナといったところのダンスも演じられる。

 しかもさらに、ポリネシアに加えて、メラネシアやミクロネシア各地のダンスもここでは本場ものが演じられる。とりわけメラネシアは文化の多様性が大きいので、国代表のダンス集団であっても国全体を代表するとは限らないが、パプアニューギニアなど衣装や持ち物がとても華麗で、時に儀礼なども見せてくれることがあるので楽しみである。ソロモン諸島から来るのは、長さの異なる竹筒を使ったパンパイプの大小を取りまぜたオーケストラで、マライタ島出身のアレアレ人の集団である。それに加えて、独立国ソロモン諸島に含まれているポリネシアン・アウトライヤー*5のティコピア島のダンサーが来たこともある。ティコピア島はレイモンド・ファースの社会人類学モノグラフ“We, the Tikopia”(1936)でも有名であり、我々には感慨深いものがある。また.長らく観光開発が進んでいたポリネシアに対して、あまり観光ずれしていないダンスを見せてくれるミクロネシアの若者たちの可憐さも見ものである。

 オーストラリア・アボリジニの人々も必ず参加する。彼らのダンスは他のどの国や地域の人々のそれとも異なるが、狩猟採集民特有の動物の動きをまねたダンスなどそれなりに個性豊かなダンスとなっている。そして、ディジリドゥ*6の音はマイクなしで遠くまで響き渡るのである。

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開会式に先駆けて近隣各地からカヌーがやってくる。2016年、アガニャにて。第6回にはハワイから、第7回にはクック諸島から、伝統を復元した遠洋航海カヌーがやってきた。

 メンバー国であっても、国の事情などあって必ず参加するとは限らないが、おおよそ20カ国近くが集まってくる。往復の交通費は参加国が出し、学校などが宿舎として提供されるので、現地の学校が休みの時期に開催されることが多い。国や地域を代表する人々が、それぞれの国や地域固有のダンスを踊ってくれるのであるから、誠に見事というほかはない。オセアニアのどこの人々も持っているダンスというものを交流のことばとしている太平洋芸術祭は、人々にたちまち受け入れられる結果となった。都市部の大会場での開催がメインではあるが、村落部にも会場を作り、そうした土地でも草の根交流が行われる。ダンサーたちは村落部で拍手喝采を浴びるだけでなく、現地の食べ物も食す機会がある。また現地のコミュニティが受け入れの儀礼を催したりする。日頃テレビや映画で欧米の生活を見る機会の多い人々ではあるが、隣人の文化を知るてだては思ったより少ない。

 一方で、このような機会を観光に役立てる動きもある。もちろん観客は現地の人々が最大であるが、欧米からの観光客や、我々のような人類学者、芸術学や美学の研究者、オセアニア関係の国際機関を代表する人々、メディア関係者もいる。近年ではテレビ局を持つ国々も多く、開会式など多くのTVカメラは場所取りに忙しい。これらの人々がホテルに滞在するので、経済的なインパクトは国によって違うが、小国にとってはありがたい存在だ。

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フィジーのコンテンポラリー・アーティストと共に。2016年、アガニャにて。

 伝統的な歌とダンスの他にも多くのジャンルの交流があるし、現代のホットな演目もある。ヌーメア(ニューカレドニア)で行われた第8回大会では、主催者が用意したモダンダンスのグループ*7や、神話をバレーで演じる演目などが用意されていた。サモアの代表団の中にはモダンダンスを演じられるグループがあり、回数は少ないが公演を行った。私は見逃してしまったが、サモア移民を中心にしたニュージーランドのマルチエスニック・ダンス集団マウもこのとき来ていたという。マウは舞踏に近いコンテンポラリーな舞台活動を行っていて、海外が主な活動の場となっているプロ集団である。詳細は稿を改めるが、ニュージーランドでは移民の文化活動が都市部を中心に目立つようになり、移民もニュージーランドの一部であるという理解で、代表団の中には先住マオリ人以外のオセアニア移民の参加が常にある。第10回大会のパゴパゴ(アメリカ領サモア)には、ニュージーランド生まれで両親がサモア人であるラッパーのキング・カピシが来ていたし、第9回大会のコロール(パラオ)にはフィジーの人気バンド、ブラック・ローズの登場もあった。

 また、コンテンポラリーな絵画や彫刻、インスタレーションなどの美術作品の展示、彫刻などの作家の実演、太平洋ならではの植物を利用したバスケットやマット作りの実演もある。写真展、切手展、過去の遺産の展示などもある。作家会議や朗読会も行われるし、書籍の展示会もある。

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クック諸島のビレッジ展示。2016年、アガニャにて。

 一般市民や観光客に人気なのは、フェスティバル・ビレッジと呼ばれるお土産屋さんのブースである。各国が用意したさまざまの「特産品」(一部実演販売も含む)がところ狭しと並ぶ。貝殻や椰子殻のアクセサリーや椰子の葉やパンダナスで編んだバッグ、トンガの樹皮布の小物、パプアニューギニアのネットバック*8、クック諸島の帽子、南太平洋プリント柄のラプラプ(腰巻き布)やドレス等々。入墨師のブースが出ることも多い。現地人や観光客がもっぱらの客であるが、ダンサーやアーティストとして来訪している人たちも、これを機会に見て回っている。

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サモアのファッション・ショー。樹皮布のデザインを流用したプリント柄エレイの作品。2016年、アガニャにて。

 第10回大会のパゴパゴで本格的にランウェイが設けられたファッションショーも近年盛り上がりを見せてきた。必ずしもコンセプトが一致しているわけではないが、伝統的な材質を用いつつ華麗なドレスを作り上げる場合もあれば、伝統的衣装をそのままに再現する国もある。異なる場面で年齢や役割に応じて異なる衣装を見せて、固有の文化を解説する場合もある。地元のドレスメーカーが今年の流行はコレだとばかり繰り広げるものもある。本格的な伝統的歌やダンスの観察を目的としてきている民族学者には人気がないながら、私のように現在のオセアニアの動向を知りたいという向きにはなかなか興味深いものである。

 

背景としての植民地史

 さて、先に簡単に述べたが、大平洋芸術祭の試みは、植民地主義からの脱却ということである。このあたりで、この地域の歴史的概略に立ち入っておこう。

 おおざっぱな時代の推移を眺めれば、クック船長の太平洋探検が18世紀末のことである。その後商船、捕鯨船が立ち寄るようになり、急速な文化接触が始まる。しかし、その関係は相互的なものにあらず、19世紀後半には植民地化の時代を迎え、外交をイギリスに預け内政自治を貫いたトンガを除き、すべて植民地化された。そして、1970年代および80年代には雨後の竹の子の如く、小国家が乱立する独立の時代となる。ナウルとツバルがそれぞれ1万人を越す位の人口、最大のパプアニューギニアは706万人、次がフィジーで88万人となる。南太平洋で最初に独立を果たしたサモア独立国(旧西サモア)でも20万人足らずで、私の住んでいる武蔵野市の人口が14万人強だから、独立国といえども日本なら市くらいの大きさということになる。

 そのような弱小国の集まりであるオセアニア地域が存立可能なのは、民族自決を促す20世紀の国際世論形成があるからだろう。国際連盟信託統治理事会は、人口規模のちいさな地域も含め、残った非独立地域にさらに独立を促す勧告を行っている。太平洋地域でそのような地域は6カ所、アメリカ領サモア、グアム、フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、トケラウ、ピトケアン諸島である。

 フランスは国の方針として、独立を快く思っていない。一時ニューカレドニアの独立問題が大きくクローズアップしたが、2018年の住民投票では、独立は否決されている。それというのも、現在では先住民のカナク人を凌駕する数のフランス人が居住しているからである。フランス領ポリネシアも独立運動はあるが、前途遼遠である。アメリカ合衆国の場合、グアムは戦略的重要性ゆえに簡単に手放さないと思われるが、アメリカ領サモアが独立することに異議はなかろう。単にアメリカ領サモアの住民が、合衆国から離れたくないと考えているだけだ。トケラウは海進問題を抱える環礁群で、1,400人程度の人口(2016年)しかなく、その5倍もの人数がニュージーランドに居住している。ピトケアン諸島は現在人口約50人で、いくらなんでも独立は難しかろう。

 独立を促す力学が働く一方で、この地域の経済的自立には困難が伴っている。植民地時代にも宗主国がこの地域から甘い汁を吸ったということは少なかったのではあるまいか。一部、メラネシアの鉱物資源は期待できるかもしれないが、ハワイやニュージーランド、オーストラリアを除いて、ぼろ儲けのできる経済資源は少ない。むしろ、第二次大戦前のアメリカ領サモア*9、戦後のグアム、ハワイ諸島などの戦略的価値、すでに停止されているが核爆弾実験場としてのムルロアなどの価値はあろうが、現地の人々のまっとうな経済開発は現代でも課題となっている。経済的自立が難しいが故に、太平洋諸島は一時期MIRAB国家と呼ばれたこともある。MI=migration、R=remittances、A=aid programs、B=bureaucracyでもってこの地域が成り立っているというのである。とりわけポリネシアでは第二次世界大戦後に始まる人口移動が著しく、独立国のサモアやトンガですら人口のかなりの部分が環太平洋の先進国に移住し、それらの人々の送金がそれぞれの現地家族を支え、国家収支を潤してきた。そして、先進諸国の援助プログラムは国家運営に織り込み済みなのである。

 西洋との接触はオセアニアを大きく変貌させた。植民地化以前には、火器の導入に伴う戦闘、虐殺の激化、疫病の流入、奴隷貿易などによる人口の激減があった。字をもたなかった人々にとって、キリスト教の伝道は社会に大きな変化をもたらした。伝統的な教育の仕組みが全くなかったわけではないが、学校制度や近代化への準備、成文法や警察制度など、すべてが外来のものである。それらを受け入れ、自分たちで政府を動かしていくという事は並大抵では無い。多くの国々では独立後もお雇いの外国人の力にたよって政府の運営がなされていた。現在ようやく現地人化が整いつつある。

 

伝統文化のうけた打撃と復興

 人口が激減したハワイ諸島をとりあげよう。西欧との接触時の人口は30万人と推定されているが、内戦や疫病により、1900年には混血も併せて4万人足らずとなっていた。これほどに人口減少が生じると、社会や文化も破壊されていく。宣教師により、ダンスやタトゥーが禁じられたし、西洋の価値観を度々押し付けられることとなった。押しつけられたという自覚がなくても劣等感に苛まれ、おのずから慣習を捨てて顧みなくなっていた。

 70年代の後半から先住民運動が始まる。先住民運動は政治権力を取り戻す戦いでもあったが、誇りを取り戻すための文化復興運動は重要であった。これはニュージーランドのマオリ人でも同じようなプロセスをたどっている。独立を勝ち取った極小島嶼国家の人々にとっても、文化復興は重要な課題であった。ポストコロニアルとは、植民地支配を国家建設によって脱出しても、制度的、経済的、文化的、心理的な被支配からなかなか解放されない状況をさしている。

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サモアの入墨師のブース。他国ではマシン彫りがほとんどであるが、伝統的な手法を守っている。2016年、アガニャにて。

 ホノルルのポリネシアン・ショーでダンサーをしているオーストラル諸島出身の青年が、歴史文書に掲載された全身にタトゥーを施したマルケサス諸島の戦士の絵を見て感激し、自分も入れたいと思った。ショーを主宰する実業家のタヒチ人男性に相談したが、タヒチではタトゥーが消滅してすでに100年が経過していた。ポリネシア中を探し回ったこの実業家はようやくサモアに現在も入墨師が存在することを見出し、青年の夢をかなえてあげた。このできごとは1981年のことであったが、これがきっかけとなり、タヒチではタトゥーがブームとなる。やがてポリネシア各地でタトゥーのリバイバルが生じ、さらに世界的なブームに火がつくこととなった。

 各国のダンスも伝統的ダンス、モダンダンスといった使い分けをしているが、「伝統的」と呼ばれているダンスも多くの変容を受け、全く土着そのもののダンスではない。一旦消滅して再興したものも多い。例えばタヒチでは、第二次大戦後に観光開発をするにあたって、すでに失われてしまっていたダンスをなんとか再興することが課題となった。比較的近隣にあるクック諸島のラロトンガ島のダンスが最も近いといわれていたことがあって、ラロトンガの人々にダンスの再興を手伝ってもらった。そのせいか、タヒチのダンスとラロトンガのダンスとは、とても似通っているのである。

 ハワイでは、移民が入ってくる中で、新しい楽器や歌い方を取り入れ、フラ(ダンス)がある種の進化をとげた。ウクレレはポルトガル移民の創作であるし、男女が登場して弦楽器に合わせて踊る形式もポルトガルの影響である。女性が長袖にハイカラーで足首の隠れるドレス(ホロク)を着て優雅にゆっくり踊るフラや、そのメロディーを奏でるスティールギターはもっと新しい。観光の場で演じられ、現在世界中で受け入れられているこうしたフラは土着のダンスではない。しかしながら1970年代後半に生じた先住民運動の中で、既になくなっていたヒョウタンの刻むリズムと詠唱で踊る古代のフラ、フラ・カヒコの再興が行われた。現在太平洋芸術祭の場などで踊るフラは、フラ・カヒコであることがほとんどである。もっとも、できるだけ古いものを再興しようとしても、現代的価値観からかなわない場合もある。女性の胸を覆っているのはキリスト教の影響であるが、それを古代の衣装に戻さないのは、女性の胸を露わにすることが古代と違う意味をもってしまうからだとハワイ人はいう。

 

差異化と新しい文化の創造

 サモア人の友人と話したときに、彼女は、太平洋芸術祭開催の結果として各国のダンスが似てきた、という。それはアップテンポのタヒチアン・ダンスに皆引きずられて、テンポが速くなっているということらしい。タヒチのダンスは確かにセクシーで華麗であり、女性のダンスばかりか男性のダンスもアクロバティックで美しい。他の国のダンサーたちもそれを見て近づきたいと思う、その気持ちはよくわかる。

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フィジーの団扇のダンス。2008年、パゴパゴにて。

 しかし一方で、各国が互いに似通った部分を抑え、それぞれの国の特徴がわかるダンスというものを心がけていることもわかる。差異化である。実際にはそれぞれが近隣のダンスを取り入れて踊ってきたという歴史がある。サモアの観光の場面でも、女性がうちわをもって踊るダンスがあるが、それはフィジーのダンスをまねたものであるとサモア人自身がいう。また、船のオールを持って踊るダンス、これもトンガで見たこともある。しかしこうした紛らわしいダンスは、太平洋芸術祭の場ではあまり踊らないようにしているようだ。サモアの場合でいえば、男性のファアタウパチ(スラップ・ダンス)――体のあちこちを叩きながら飛び回るダンスで、勇壮である――や座って踊るサーサーなどは自他ともに認めるサモアのダンスであるから、これらは演目の中に多く取り入れられる。

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サモアのファイア・ダンス。2000年、ヌーメアにて。

 ファイア・ダンスというのは、ナイフィ(ナイフ)という先に刃の部分がついた棒の両端に灯油をしませた布を巻き付け、火をつけてバトントワリングのように回したり、放り投げて受け取ったりして踊る、アクロバティックなダンスである。これは第二次大戦後にサンフランシスコのバーでダンスを見せていたサモア人男性が考案したものであるとされており、サモア人がさまざまな観光活動において見せてきた。しかし現在では、ワイキキでもトンガでもフィジーでもタヒチでも、その他の場所でも、スペクタキュラーな演目としてポリネシアの観光の場面で誰もがやるようになってきた。一方で人々はサモアが「本家」であることを認めているのであろうか、大平洋芸術祭でサモア以外のグループが行うのは見たことがない。

 第7回のアピア(サモア)大会では、ワリス・フツナの男性が両腕を振り回して手のひらを叩いたりする動作をサモア人が大変気に入った。その1年後にサモアに行ったときには、このダンスをまねたダンスをあちこちで見たが、もちろん芸術祭の場面でこれを踊ったりはしないのである。

 オセアニア各地では、伝統文化の保護と同時に、新しい文化の創造も熱心に行われるようになってきた。とりわけオセアニアのフランス文化圏では、文化は絶えず作り替えていくものという意識が強い。またメラネシア地域では、伝統的な神話や伝承のストーリーに乗せた演劇が盛んである。文字の読み書きができない人々の間にも、教育活動の一環として演劇が食い込んでいるという。オセアニア文化の動向を見極めるためにも、太平洋芸術祭をぜひとも追い続けていきたい。

 

*1:既に、いくつかの論文を書いているが、1本だけ挙げておこう。山本真鳥(2017)「グアム開催第12回太平洋芸術祭と文化の政治」『経済志林』84巻4号、pp.103-132.

*2:第12回のグアム大会以後、太平洋芸術文化祭と改称しているが、ここでは太平洋芸術祭の呼称で統一する。

*3:SPC加盟国は、アメリカ合衆国、アメリカ領サモア、オーストラリア、北マリアナ、キリバス、グアム、クック諸島、サモア、ソロモン諸島、ツバル、トケラウ、トンガ、ナウル、ニウエ、ニューカレドニア、ニュージーランド、バヌアツ、パラオ、パプアニューギニア、ピトケアン、フィジー、フランス、フランス領ポリネシア、マーシャル、ミクロネシア連邦、ワリス・フツナである。一方、大平洋芸術文化評議会(芸術祭の開催母体)には、以上の国・地域に加えて、イースター島、ノーフォーク島、ハワイ、その他の地域組織などが加盟している。

*4:鼻息で音を出す笛、口から出る息は汚れているとされたためという。

*5:かつて西から東へと移住したポリネシア人が、後に西へと再移住した小島。主にメラネシアに存在。

*6:オーストラリア・アボリジニの楽器。シロアリが食って中が空洞になった樹木を使ってつくる笛。息継ぎがなく、息を鼻で吸って口から吐くのを同時に行う。

*7:フランス帰りの振付師がヌーメアの街中を歩きまわって不良少年を集め、あっという間にダンスグループが出来上がったという噂話を聞いた。第12回大会のグアムでは、同じニューカレドニアからヒップホップダンスを披露する少年たちのグループがきていた。

*8:西イリアン(ニューギニア島の西半分でインドネシア領となる)で2002年にユネスコの無形文化財として登録されたが、パプアニューギニアでも盛んに作られている。

*9:戦後間もなくして、戦略的価値の役割を終えたとして海軍基地は閉鎖されている。

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